第 153 回

アドバイスに、見返りを求めない

九月も終わりに近づき、橿原市の藤原宮跡では、大極殿跡の南に広がる花園で、コスモスの畑が十月の見頃を待っている。十月に入ると、およそ二万四千平方メートルの畑に、約二百四十万本が咲きそろうという。宮跡は大和三山に囲まれ、東に天香具山、西に畝傍山、北に耳成山を望む。草はらのところどころには、朱塗りの柱が並んでいる。大極殿院の閤門の列柱を、再現したものである。この地に都を移したのは、持統天皇だった。六九四年から七一〇年まで、三代の天皇が、ここで政を行った。

その持統天皇が、まだ飛鳥浄御原宮にいたころのことである。持統天皇六年(六九二年)の二月十一日、天皇は役人たちに、三月三日に伊勢へ行幸するので、衣服などの支度をしておくように、と告げた。二月十九日、中納言の三輪朝臣高市麻呂が、書面を奉って諫めた。田畑の仕事が忙しくなる季節に行幸すれば、農事の妨げになる、と。三輪氏は、三輪山の大神神社を祀る家柄で、高市麻呂は、二十年前の壬申の乱で、天武天皇の側について戦った人でもある。

三月三日、行幸のあいだ都を守る留守官が任じられた。すると高市麻呂は、自らの冠を脱いで朝廷に捧げ、重ねて申し上げた。「農作の節、車駕いまだ以て動くべからず」。農作の季節に、天皇の車を動かしてはならない、と。三日後の三月六日、天皇は諫めに従わず、伊勢へと発った。

人に対してアドバイスをしても、 必ずしも人がそのアドバイスを聞いて 実践するとは限らない。

だからと言って、憤慨したり落胆する必要はない。

自分が否定されたわけではないのだから。

人は、その人の自由と責任において ものごとを選択している。

自分のアドバイスを聞くかどうか、 実践するかどうかを決めるのも相手である。

仮に、相手に求められてアドバイスをした時ですら そうである。

見返りを求めないことが肝要だ。

その旅の途中、三月十七日、天皇は、通り過ぎた神郡と、伊賀・伊勢・志摩の国造らに冠位を授け、その年の調役を免じた。供奉した騎士や、荷を運んだ者、行宮を造った者たちの調役も、あわせて免じられた。天皇が都へ戻ったのは、三月二十日である。日本書紀は、そののちの高市麻呂について、何も記していない。記録に次にその名が現れるのは十年後、大宝二年(七〇二年)の正月、長門守に任じられた時のことである。遠い長門の国へ発つにあたり、三輪の川のほとりで宴が開かれ、高市麻呂は歌を詠んだ。「三諸の神の帯ばせる泊瀬川 水脈し絶えずは我忘れめや」。三輪の神が帯としておられる泊瀬川の流れが絶えないかぎり、どうして忘れることがあろうか、と。藤原宮跡のコスモスは、これから十月にかけて、大和三山に囲まれた草はらに咲きそろっていく。

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