第 152 回

時には、引き返す勇気も

九月も終わりに近づき、奈良市の平城宮跡では、広い草はらのあちこちで、ススキとオギが銀色の穂を出しはじめている。穂がいちばん輝くのは、十月の半ばから下旬にかけてだという。朱雀門から北へ目をやると、草はらの向こうに、朱塗りの柱の第一次大極殿が立っている。正面およそ四十四メートル、高さおよそ二十七メートル。平城遷都千三百年の二〇一〇年に、復原されたものである。けれども、もとの大極殿がこの場所に建っていたのは、都が置かれてから、わずか三十年ほどのあいだだけだった。

天平十二年(七四〇年)の暮れ、聖武天皇は、都を平城京から、山背の恭仁京へと移した。大極殿も解体されて恭仁宮へ運ばれ、四年ほどかけて建て直された。都はその後、難波宮へ、さらに近江の紫香楽宮へと移っていく。紫香楽に近い甲賀寺では、盧舎那仏の造立が始まり、天平十六年の十一月には、仏の骨組みとなる柱が立てられた。天皇みずからも、その綱を引いたという。

天平十七年(七四五年)の四月、紫香楽宮のまわりの山々で、火事がたびたび起きた。月の末には大きな地震があり、揺れは三日三晩つづき、五月に入っても余震はやまなかった。五月二日、天皇は役人たちを集め、どこを都とすべきかを尋ねた。答えは皆、平城だった。二日後、平城京の四つの大寺、薬師寺・大安寺・元興寺・興福寺の僧たちにも、同じことを尋ねた。答えはやはり、平城だった。

人生は、『一生懸命頑張ればいい』 という単純なものではない。

仮に一生懸命頑張っていても、 それが独善的であったり、 社会から求められていないものであった場合は、 上手く行くことはない。

『とにかく、一生懸命頑張る』ことを 神格化してはいけない。

都度しっかりと頭で考えてものごとを選択し、 時には立ち止まったり、 引き返す勇気も持ち、生きていこう。

五月十日、市の人々が平城京へと向かった。朝早くから夜更けまで、行列は途切れることがなかったという。天皇が平城京へ戻ったのは、その翌日である。盧舎那仏の造立は、この奈良の地で改めて始められ、やがて東大寺の大仏となった。一方、恭仁宮に建てられた大極殿は、奈良へ戻ることはなく、翌年、山背の国分寺に施され、その金堂となった。平城宮には、もとの大極殿の東側に、新しい大極殿が建てられた。今はその基壇だけが、草はらの中に残っている。夕暮れ、その基壇の上に立つと、東には若草山が、西には生駒の山なみが見える。ススキの穂は、これから十月にかけて、日ごとに色を深めていく。

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