第 111 回
ならまちの一角、元興寺の極楽坊本堂は、かつて学僧・智光が房を構えていた場所だと伝わる。天平の頃、智光には頼光という学友がいた。同じ房で机を並べ、同じ師のもとで学び、幾年もの月日を共に過ごした間柄だったという。
ある日、頼光は智光を残して先に世を去った。悲しみの癒えぬある夜、智光の夢に頼光が現れ、阿弥陀仏の傍らで安らかに極楽往生を遂げた姿を示したと伝わる。目覚めた智光は、その情景を画工に描かせ、自らの房に掛けて日々静かに眺め続けたという。
それが今に伝わる智光曼荼羅である。当初のものは中世の争乱で失われ、現在法輪館に納められているのは室町時代に写された姿だが、友を偲ぶ祈りの形は、五百年余りの時を越えて今も静かに受け継がれている。
『当たり前の様で当たり前でない。』
先月まで当たり前の様に会えていた人が、 急遽、2度とお会いできないことになる、 ということは意外と少なくない。
やはり、日々同じ様に見える風景でも 場所でも、決して同じではない、 当たり前ではない、ということ。
日々是一期一会。
智光がその絵に込めたのは、二度と語り合うことのできなくなった友への、せめてもの想いだったのかもしれない。当たり前のように隣にいた人の姿を、当たり前ではなかったと気づいた時、人は初めてそれを描き留めようとするのだろう。