第 112 回
東大寺の北、静かな住宅街の一角に、五劫院という小さな寺がある。本尊として安置される五劫思惟阿弥陀仏坐像は、鎌倉時代、俊乗坊重源が宋より請来したと伝わる像で、その頭を見た者は誰もが驚く。まるでアフロヘアーのように盛り上がった螺髪、それは阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩と呼ばれていた頃、五劫という途方もない時間をかけて思惟を重ね続けた証だという。
一劫とは、百年に一度、天女が舞い降りてその羽衣で巨大な岩を撫で、その岩が擦り切れてなくなるまでの時間を指すという。五劫とは、その五倍の歳月である。法蔵菩薩は、その気の遠くなるほど長い時間を、ただ一心に人々を救う誓いを練り続けることに費やした。
今、堂内で静かに座す阿弥陀仏の穏やかな面差しは、一朝一夕に至った境地ではない。想像もつかないほどの時間を、ひたすら思い続けた末にたどり着いた姿である。
「自分には、すぐに大きな成果を出すことは出来ない。」
そう感じている方も少なくないだろう。
大丈夫。人には、その人に適したペースがある。
何気ない小さなことから始めよう。
例えば、 ズボンを利き足と逆の足からはいてみる、 いつもと違う道を通ってみる、 周囲の人に、「こんにちは」や、「ありがとう」を言ってみる、など。
そうすれば、自分の中で何かが変わり始めるだろう。
五劫院の阿弥陀仏は、急いで悟りを得たわけではない。ただ、思い続けることをやめなかった。その螺髪の一巻き一巻きに、途方もない時間の積み重ねが刻まれているのだろう。今日も堂内で、その穏やかな面差しは変わらず、訪れる者を静かに迎えている。