第 149 回

長い目で見て、ものごとに当たろう

桜井市三輪、大神神社の南、三輪山の麓に、冬が訪れている。工房の裏手の庭先に、木枠に掛けられた白い麺が運び出され、まっすぐな幾筋もの糸となって、乾いた北風にそよいでいる。空気は刺すように冷たく、澄んでいる。

麺はほんのひととき外気にさらされるだけだという。その間、職人たちは長い菜箸を手に、隣り合う麺どうしがくっつかないよう、一本一本を丁寧に引き剥がしながら歩く。やがて木枠は再び工房の中へ運び込まれ、扇風機の風を受けながら、ゆっくりと乾燥と熟成が進められていく。この作業ができるのは、年が明けてから三月の終わりまでの、一年でもっとも冷え込む数か月だけだという。

出来上がったばかりの麺は、その年のうちには出荷されない。蔵の暗がりに積まれたまま、次の夏の暑さを一度越して、ようやく袋に詰められる。ひと夏を越したものは「一年物」、ふた夏を越したものは「二年物」と呼ばれ、年月を重ねるほど、コシは強く、喉ごしは滑らかになっていくのだという。

この里で素麺が作られるようになったのは、今から千二百年以上も前のことと伝わる。工房から少し歩けば、素麺作りの神として祀られる大神神社の杜が見える。毎年二月には、その年の値の目安を神前で占う神事も、今なお続けられているという。

『自分がおかれている状況が早く好転してほしい。』 『勉学や、スポーツなどで早く結果を出したい。』 『異性との関係性を早く進展させたい。』

その気持ちはよく理解できる。 それが人情である。

しかし、人生において、 ものごとの進行には案外時間がかかるものだ。

早く結果を求め、たとえその結果が早く得られたとしても、 意外とすぐに壊れてしまうことが多い。

無論、時間をかければ、その結果が得られた時に それが長続きするという保証はないが、 基本的に時間がかかるものだと覚悟して臨む方が ものごとはうまく行き易い。

世の中は相対的なものであり、 常に全体でバランスを取ろうと動くものである為、 早く事態が良くなり、早く良い結果を得ることを臨むことは、 無意識の内に同時に、 早く事態が悪くなり、早く悪い結果が出ることをも容認する行為 とも言えてしまうのである。

長い目で見て、ものごとに当たろう。

工房を出るころには、日はすでに西へ傾いていた。庭先の木枠はとうに片づけられ、乾いたばかりの麺は束ねられて、蔵の暗がりへ運ばれていく。それが誰かの椀に収まるのは、この冬ではなく、次の夏が過ぎてから、もっと先のことになる。

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