第 147 回

崩れたバランスは、自分で合わせる

奈良市街から東へ、国道三百六十九号を柳生の方へ十二キロほど行くと、忍辱山という集落に出る。円成寺は、その道沿いにある。楼門の前に、池を中心とした庭がひらけていて、水の面には、門と、その背後の木立が、上下さかさまに映っている。九月の末の今、紅葉はまだ先である。見頃は十月の下旬から十一月の下旬にかけてで、木々はいまも深い緑のままだ。

この庭が造られたのは、平安時代の末、寛遍上人のころと見られている。池の中央と西には中島があり、かつて中央の島には橋が架かっていた。岩手の毛越寺の庭とともに、この時代の浄土式の庭がそのまま残る、数少ない例とされている。楼門は応仁二年(一四六八年)の再建で、三間一戸、入母屋造の檜皮葺。本堂も、ほぼ同じころの建物である。

ところが明治以降、この庭のすぐそばを県道が通るようになり、景観は長いあいだ損なわれていた。昭和三十六年(一九六一年)、その県道が移された。そして昭和五十一年(一九七六年)、庭の復元改修が行われ、池はもとの面目を取り戻した。造られてから八百年あまりのうち、この庭が損なわれたまま過ごした時間は、百年ほどである。

この世の全てにおいては、バランスが重要である。

自分の心身の状態をつぶさに観察し、 何か不具合を感じていれば、 それは何かのバランスが崩れていることを物語っている。

もちろん、時にはがむしゃらに何かに取り組む時や、 バランスが崩れることを承知でやらなければならない時がある。

そんな時は、バランスをいちいち気にしていると、 うまく行くものもうまく行かなくなる。

重要なのは、崩れたバランスを 人生のどこかで調整することを心がけること。

そう、自分で帳尻を合わせるのだ。

そうすると、ものごとは驚くほどうまく行くだろう。

風が渡ると、水面の門はいったん形をなくし、いくつもの細かな線に散ってしまう。しばらくして風がやむと、門はまた、もとの形を水の上に結びなおす。何度見ていても、同じことが起きる。池のほとりには、まだ緑の葉をつけた木が立っている。あとひと月もすれば、この葉は色を変え、水の面にもう一つの秋を映すことになる。その日まで、木はただ、いまの季節を過ごしている。

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