奈良の東のはずれ、曽爾村に、倶留尊山と亀山という二つの山がある。その西の斜面からふもとにかけて、広さ三十八ヘクタールほどの草原が、すり鉢のような形にひらけている。曽爾高原と呼ばれる、すすきの原である。春の初めに、いちど野に火を入れて、古い草を焼く。すると夏には青い葉が一面に伸び、秋には、穂が日の光を受けて、銀色から金色へと移っていく。草原のまわりは、屏風岩や鎧岳、兜岳といった岩の山が、屏風のように囲んでいる。
高原のなかほどに、お亀池という小さな湿地がある。その池のわきから、木の板を組んだ階段の道が、稜線の上の亀山峠へと、まっすぐ登っていく。ある人が、その階段をのぼっている。見上げれば、峠は空を背にしてそこにあるのに、一段のぼっても、二段のぼっても、いっこうに近づいてこない。息が浅くなり、太ももが重くなる。その人は、何度も足を止めては、また登りはじめる。
ようやく峠に着くと、その人は、荷を下ろすでもなく、ただそこに立っている。風は、さっきと同じ間隔で、草原の向こうから渡ってくる。しばらくして、荒かった息がしだいに静かになり、風が草を渡る音と、聞き分けられなくなる。峠の上からは、高原の全体が見わたせる。金と銀の穂が、風の通り道に沿って、一枚の布のように、ひとつづきになって、ゆっくりと波打っている。
生き急いでないか? 焦っていないか?
時には自分に問いかけてみよう。
気持ちだけが先へ先へと進み、 心と体がついて行かない。
これでは物事上手く行くはずもない。
気を静め、心を落ち着かせ、体を休めよう。
そうして、気持ちと心と体を一致させることができれば、 物事は自然とうまく回り始める。
日が西にかたむき、穂の海が金の色を深くしていく。階段の道を、あとから来た人たちが、めいめいの足どりでのぼってくる。息が切れたところで立ち止まり、しばらくして、また歩きだす。草はみな、お亀池のほうへ、そろって穂先を垂れている。峠に立った人は、もうしばらく、その眺めのなかにいた。風は、日が暮れて人がいなくなっても、同じ間隔で、この草原を渡りつづけるのだろう。