第 091 回
東大寺法華堂、通称三月堂には、天平の昔から幾体もの仏像が並び立つ。中でも須弥壇の奥にひっそりと安置される執金剛神像は、普段は厨子の扉を閉ざされ、めったにその姿を見せることはない。
その眼差しは厳しくも、何かを語りかけることはない。ただ静かにそこに立ち、訪れる者それぞれの歩みを見つめている。手を差し伸べるでもなく、道を示すでもない。
堂内を歩く参拝者は、それぞれの願いを胸に、それぞれの速さで手を合わせる。像は誰の歩みも急かさず、誰の迷いも咎めない。ただ、その場に在り続けるだけである。
「もっとこうすればいいのになぁ。」
人に対してそう思うことは少なくない。
しかし、それはまだ自分の『エゴ』を捨てきれていない証拠。
人は、その人自身がそれを経験しなければ、どんな良いアドバイスも意味をなさない。
故に、優しく見守ることがその人を尊重することに他ならない。
何も言わず、ただそこに立ち続けること。それもまた、ひとつの優しさなのかもしれない。