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第 167 回

無いものを嘆くのではなく、あるものに感謝しよう

東大寺の大仏殿から、北へ向かう。少し歩くうちに、大仏殿のまわりのにぎわいは遠のき、ゆるやかな坂道に、人の姿はまばらになる。左手には、正倉院の敷地が、柵に区切られて続いている。道標の立つ角を曲がり、長い石段を上った先に、東大寺の塔頭のひとつ、知足院がある。東大寺の境内で、最も北にある寺だという。

創建は、寛平二年(八九〇年)と伝わる。いったん荒れたのち、鎌倉時代に再興され、法相宗の学問の道場になったという。今の本堂は、文久三年(一八六三年)に建て直されたもので、白い壁の両脇に、釣鐘のような形の火灯窓が開いている。境内の片すみには、小さな鐘楼が立つ。晩春には、ここで見いだされた奈良八重桜が、ほかの桜に遅れて花を開く。「知足院ナラノヤエザクラ」の名で、大正十二年(一九二三年)に国の天然記念物に指定された桜だ。紅葉には、まだ少し早い。

本尊は、鎌倉時代の木造の地蔵菩薩立像。秘仏で、年に一度、七月の地蔵会に合わせて公開される。この地蔵には、「文使い地蔵」という、もう一つの名がある。治承四年(一一八〇年)、平重衡の軍勢による南都焼討ちで、東大寺の大仏殿は焼け落ちた。翌年、造東大寺長官に任じられた藤原行隆は、重源とともに、再興に力を尽くした。けれども、その完成を見ることなく、世を去った。残された娘は、嘆き悲しみ、毎日、この地蔵に手を合わせたという。

現代のこの世の中には、物や、便利なサービスが溢れている。

昔の、物が無かった時代、便利なサービスが無かった時代と比べると、 格段に現代人の生活水準は上がっている。

なのに何故我々は、欠乏感を抱き、満たされない日々を送っているのか?

それは、物や便利なものが溢れているからこそ、 それらを際限なく追い求めてしまうという側面があるからだ。

物が無限に存在するからこその悩みだ。

又、人間は不安を感じると、無意識にそれを何かで埋めようとして、 物や便利なものを追い求めてしまうという側面もある。

これらを解決するには、『足るを知る』ことだ。

そして、自分は恵まれている、満たされていることを自覚し、安心することだ。

無いものを嘆くのではなく、あるものに感謝しよう。

あなたはあなたが思っている以上に、恵まれている。

七日目の朝のことだった。地蔵の手に、一通の文が握られていた。それは、父の筆跡で書かれていて、自分は今、兜率天にいる、と記されていたという。この話から、地蔵は「文使い地蔵」と呼ばれるようになった。重源は、行隆の働きに報いようと、その遺族を、東大寺の荘園の預所に任じたと伝わる。石段を下りる前に、本堂の屋根を見上げる。その瓦にも、「知足院」の三文字が見える。坂を下るにつれて、大仏殿のにぎわいが、また少しずつ近づいてくる。

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