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第 164 回

眼鏡は、いつでもかけかえることが出来る

奈良盆地の東の山すそを、南北にゆるやかにつなぐ山の辺の道。天理市を通るその道のほぼ中ほどに、長岳寺がある。天長元年(八二四年)、淳和天皇の勅願により、弘法大師空海が開いたと伝わる古刹である。入口に建つ楼門は、かつて上の層に鐘が吊るされていたことから、鐘楼門と呼ばれてきた。上の層は平安時代のものとされ、日本最古の鐘楼門と言われている。門をくぐると、境内は思いのほか広く、どこまでも静かだ。

本堂の前には、放生池がある。池のまわりの楓は、紅葉にはまだ少し早く、葉のほとんどが青いままだ。風のない日には、池の水面に、本堂の屋根と楓の枝とが、くっきりと映りこむ。

本堂の中、薄暗い正面に、阿弥陀三尊がまつられている。平安時代の終わり、仁平元年(一一五一年)に造られた像で、「玉眼」と呼ばれる技法を用いた仏像としては、造られた年の分かる中で、最も古いものだという。像の顔を内側からくりぬき、レンズのように磨いた水晶を目の位置にはめこんで、その裏側から瞳を描く。そうして入れられた目は、わずかな光を受けて、まるで生きているかのように潤んで見える。八百七十年あまりの間、この水晶の目は、どれほど多くの人の顔を見つめてきたのだろう。

人生は、自分がどんな眼鏡を通して世の中を見るか、それに尽きる。

以前最悪だと思っていたことが、案外大したことではなかったり、 以前嫌いで仕方なかった人が、そんなに嫌いではないことに気付いたり、 以前攻撃的な人だと思っていた人の優しい面が垣間見えて驚いたり。

要は、自分の心という眼鏡をかけて人生を見た時に、 どう見えるのかは、あなた次第ということだ。

眼鏡は、いつでもかけかえることが出来る。

さあ、あなたはどんな眼鏡をかけて人生をおくる?

本堂の縁側に腰をおろし、しばらく池を眺める。水面には、本堂の屋根と青い楓とが、さかさまに映っている。秋が深まると、この楓が赤く染まり、池の中にも、もうひとつの紅葉が広がるのだという。鐘楼門を出て、ふたたび山の辺の道を歩きはじめる。門の奥の本堂では、あの水晶の目が、今日も薄暗がりの中で、訪れる人を静かに見つめていることだろう。

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