十津川村の南のほう、山の尾根の上に、果無という小さな集落がある。十津川温泉のあたりから、急な石段の続く山道を、四十分ほど登っていく。石垣の上に、十戸に満たない家々が尾根に沿って並び、北のほうへ眺めがひらけて、幾重にも重なる山並みが、遠くまで続いている。「果無」という名の由来には、いくつかの説がある。はるか遠くまで続く山並みに、果てが無いからだという説は、江戸時代の書物にも見えるという。
家々のあいだを通る細い道は、熊野古道の小辺路である。高野山から熊野本宮大社まで、紀伊山地を南北に貫く、およそ七十キロの道。千メートルを超える峠を三つも越え、熊野へ向かう道のなかでは、もっとも険しい道とされる。もとは、山に暮らす人々の生活の道で、平安時代にはすでにあったと考えられている。集落では、一軒の家の母屋と離れのあいだを、古道がそのまま抜けていく。ここでは、暮らしと巡礼が、同じ一本の道の上にある。
記録に残る小辺路の参詣で、もっとも古いものは、十六世紀、伊予国の武将・土居清良が、戦で亡くした父の菩提を弔うために歩いた旅だという。江戸時代になると、大坂の商人や、遠く東国の人々も、この道を通った。東国の人々は、秋の収穫を済ませてから旅立ったため、ここを越える頃には、もう冬になっていた。それでも、雪が三尺も積もった峠を、平気で越えていったと伝えられている。
人は何故、旅をするのだろうか?
もちろん人によって目的は違う。
その土地でしか味わえないアクティビティを愉しむ人。
地のものを食すのを愉しむ人。
現地の人との交流を愉しむ人。
色々な愉しみ方があるだろう。
一方で、旅は人生の意味を探す為にも大いに役立つ。
そして、人生そのものも又、旅である。
人生という旅の意味を探しに、さあ旅に出よう。
集落を抜けると、道はふたたび山へ入り、千メートルを超える果無峠へと登っていく。峠には、今も観音像が残る。古道沿いには、西国三十三所になぞらえた観音の石仏が、十津川側の第三十三番から、本宮側の八木尾の第一番まで、点々と置かれている。大正十一年から十二年にかけて、寄進され、据えられたものだ。峠を越え、石仏をひとつ、またひとつと数えながら下っていくと、やがて木々の切れ間から、本宮のあたりが見えてくる。果無の集落では、今日も、家々の軒先をかすめて、一本の道が、山の向こうへと続いている。