十月二日。吉野山の北の麓、吉野町の宮滝。吉野川はこのあたりで大きく蛇行し、両岸には巨きな岩が迫って、瀬と淵とが、代わる代わる現れる。山の木々はまだ緑を残していて、紅葉には少し早い。川べりの岩に腰を下ろすと、聞こえてくるのは、瀬を走る水の音ばかりである。
飛鳥から奈良の都の時代にかけて、この川べりには、天皇の離宮、吉野宮があったと考えられている。斉明・天武・持統・文武・元正・聖武と、多くの天皇がこの地を訪れ、なかでも持統天皇の行幸は、三十一回を数える。宮滝の柴橋の下では、吉野の山から喜佐谷を流れ下ってきた小さな川が、吉野川へと注いでいる。万葉の人々が、「象(きさ)の小川」と呼んだ川である。その流れ込む深い淵は「夢のわだ」と呼ばれ、多くの万葉歌人が、歌に詠んだ。
ある年の春の終わり、天皇の吉野への行幸に従った中納言、大伴旅人は、天皇の仰せを受けて、歌を詠んだ。「昔見し、象の小川を、今見れば、いよよさやけく、なりにけるかも」。昔見た象の小川を、今あらためて見ると、いっそう清らかになったことだ。かつて見た川を、時を経て、旅人はもう一度見たのである。
人は気を許すとすぐに、そして無意識に、 『足りないもの』にフォーカスし、それを嘆いてしまう。
もちろん、ある一定の欠乏感は何かを追い求め、 それを得るために努力し、結果成長するのに役に立つことがある。
しかし、常に『無いもの』を嘆き、自分は不幸だと言い張る行為は、 実際自分に『無い状態』、『不幸な状態』を引き寄せる行為にしかならない。
この世は、人がフォーカスしたものを実現するという法則で成り立っている。
のちに旅人は、六十歳を過ぎて、遠い九州の大宰府へ赴いた。その地で詠んだ歌が、残っている。「わが命も、常にあらぬか、昔見し、象の小川を、行きて見むため」。わたしの命も、いつまでも変わらずにあってほしい。昔見た象の小川を、また行って見るために。遠い筑紫の地で、旅人の胸にあったのは、あの澄んだ小川の流れだった。天平二年、旅人は大納言となって都へ戻り、翌年、六十七歳でこの世を去った。十月の宮滝では、今日も、象の小川が、夢のわだへと、静かに流れ込んでいる。