第 079 回
奈良公園の入口近く、氷室神社の境内に、一本の見事な枝垂れ桜がある。氷を司る神を祀るこの社の桜は、奈良に咲く数多の桜の中でも、ひときわ早くほころぶことで知られている。
同じ奈良公園に立つ桜であっても、蕾がふくらむ時期は木によってまちまちだ。隣の木がまだ固い蕾のままでも、この一本だけがふわりと花開いていることがある。逆に、周りがすでに満開を迎えていても、なお開ききらない年もあるという。
毎年この時期になると、通りすがりの人々がふと足を止め、蕾の様子をそっと確かめては、また歩き去っていく。急かす者は誰もいない。ただ、その時が来るのを、静かに待っている。
『人それぞれ、その人にとってのベストなタイミングがある』。
いくら周囲が鼓舞しても、急かしても、激励しても、諭しても、
本人の " タイミング " にならないと人は動かない。
見守ってあげよう。
今年もまた、氷室神社の枝垂れ桜は、隣の木とは違う時期に、ゆっくりと花を開かせるだろう。早くても遅くても、それはその木だけのリズムだ。花が咲くその瞬間まで、ただそこに佇み、静かに見上げていたい。