第 020 回
奈良の春日大社の境内に、「放生池」がある。
昔から人々はそこへ魚や鳥を連れてきて、そっと放してきた。縛られていたものを解き放つ——その行いが、功徳になると信じられてきたからだ。
「放す」とは、捨てることではない。自分を縛っていた重さから、自らを解き放つことだ。
奈良を歩いていると、ふとそう思う。私たちが背負い続けているものの中に、実は「手放してもいいもの」が、ひっそり混じっているのではないかと。
人生に横たわる身の周りのあらゆる『不自由』。
これを『不自由』→『自由』に変える方法は2つしかない。
(1)努力の上、克服する・乗り越える。
(2)(『不自由』の原因そのものを)手放す。
上記(1)は足し算、(2)は引き算。
実は、より容易なのは(2)の方だったりする。
手放すことは、負けではない。それはもしかしたら、本当に大切なものへの、いちばん近い道かもしれない。